差別が多い世の中ですが

どうもFussです。留学中とはいえそこまでまだ「人種差別」っていうものを懸念していたよりはされてないんですよね。

ただ、
つり目のポーズされた人とかもいるらしいですし、欧米人にとっては中国人韓国人日本人の区別はつかないので「ニーハオ」と日本人が言われるのはしょっちゅうっていう話もよく聞きます。

もっとも僕の今までの感触としては、「そもそも気づかない」っていうのがありますね。言葉の問題で相手が差別的なことを言ってても気づかないとか。もしくは、ジョークかなんかかと優しく受け止めてしまうとか(差別かどうかっていうのは受け手によってだいぶ左右される気がします。)

例をあげるなら最近ドイツのホルンバッハという会社がかなり問題のあるCMを流していたのですが、それに最初に気づいたのは日本人じゃなくて在独の韓国人の方でした。詳しく知りたい方は「ホルンバッハ CM」で検索してください。

差別に関して「自分は大丈夫だと思わないこと」でしょうね。

差別はどこにでもあるし、人種差別もあれば性差別もあります。

差別の根本にあるのは「自分と違う何かしらの集団をひとくくりにしてみてしまうという人間の性格」ではないでしょうか。

言い換えるのならばその人それぞれの属性から差別は生まれるのだと思います。

例えば2つ離島があったとしてA島B島がお互いのことを「向こうの島のやつらはろくなやつじゃない」といってるようなもんで。

実際はどちらの島にもピンキリでいろんな人がいるでしょう。

なのに固まりとしてなんとなく僕らは見てしまいがちなのではないでしょうか。どうしてかはわかりませんが。

(私はそんなこと絶対にしない!っていう人がいるならそれはそれで素晴らしいことだと思いますが)

どうして戦争とかいじめがなくならないのかという問いに対する答えも「要は人間は弱いものいじめするようにプログラミングされている存在だから」と言える気がします。

 

まあこれを他の人が見ると反論等ありそうですが僕は自分が正しいと思ってるんじゃなくて考えたことを記録していってるだけなので、違った意見等ありましたらぜひご教授願いたいところです。

だから話を戻すと、差別において自分が被害者になる可能性も加害者になる可能性もゼロではないんではないかと思います。

 

男性だから○○女性だから○○とは思わない。男性でも女性でもいい人残念な人それぞれいる

陽気じゃないラテン人もいるかもしれないしブラジルでサンバが踊れない人もいるかもしれない。

○○だから△△っていう思考を取り除いてフィルターをはずしてその人自体を見るっていうのが差別をなくす一歩なのではないかなと。

なんでも差別差別っていうとそれがまた別の差別になるのではないか?っていうのも感じていることの1つですね。

単純平等と実質平等というか。

例えば能力に差がある人、労働時間に差がある人、職が違う人に平等だからっていって同じ給料にするのは違うじゃないですか。

 

差別のない平和な世界を夢見て寝ることにします。すいません。

 

ではでは、今回も読んでいただきましてありがとうございました。

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